涙が出るほど―――『花舞う長安』初日
2004年11月26日 宝塚歌劇(舞台)なんていうんでしょうか。
これで私は今年度、月、花に引き続き、星まで初日を観劇するというありえない事態に陥りました。
来年はきっとどんなにか悪いことが・・・・。
今日は初日ですので早めにスタンバイ。7時45分!ありえない!
とかなんとかいいつつきっちり時間にはスタンバイして入り待ちをしました。
なんていうのかな、私はいつも肝心の本命のひととは目もあわせられなくて、乙女モード全開の丸出しになってしまうのです(笑)
さえちゃんの時もそうだった。
視線がこっちを向いていないと舐めまわすように見てるくせに(笑)、こっちを見ると途端に火がついたように頬が赤くなる。
「ファントム」で下級生さんを食い入るように見つめていたら逆に微笑み返されて(しかも二列だから笑顔が直撃)、私の皮膚の下で爆弾が破裂したみたいになったりしましたが・・・・まあこのときはその状態でもしっかり見つめつづけたんだけど。
今日も折角「おはようございまーす」と笑顔で目をあわせてくれているのに(しかもスッピンですYO!)、「お、おは、おは」しか言えなくて最終的には真っ赤になった顔をとてもじゃありませんが上げていることが出来ず、下を向いてしまいました。
なーに乙女気取ってんだ私は。
といつもの私が笑い飛ばす行動を他でもない私がとっていたわけで・・・・!
その代わり出待ちの時はなけなしの勇気を振り絞って「お、お、お疲れ様でした!」とどもりまくりながらお手紙を渡しました。
にっこり「ありがとうございましたー」と言ってくれて、なんていうんだろう、はじめてじゃないのに、たった一言の「ありがとうございました」なのに、本気で感激してしまって(笑)
「ありがとうございます」って言われた瞬間、本気で「私はこのひとが好きだ」と思いました。
たとえ他所で何を言われていても、仮にどんなことをしていたとしても、私は彼女が目の前で笑ってくれるだけでいい。
泣けてくるほど愛しかった。
まるで恋のようです。
ホンモノの恋とは似ても似つかないのに。でもこの”恋”は、私の中の綺麗なものの結晶体のような恋なのかも知れないと思いました。
嫉妬も何もない、ただただ好きでいる、ただただ信じつづける、少女の恋のようだなあと(笑)
(私の中にそんな美しい感情が残っていると思わなかったという意見は無論却下です)(笑)
私は宝塚を好きでいる上で、自分に言い聞かせていることがいくつかあります。
一つは、自分の目でしっかりと見るまで、決して他人の意見によるフィルターをかけないこと。
惑わされないこと。自分の目を信じること。
そしてどんな噂があろうとも最後まで信じつづけること。信じきること。
他人の意見が当てにならないとかではなくて、もうそれは主観だから本当にどうしようもない部分なんですよね。
誰かが「私はここが嫌い」と思っても、私一人が「私はそこが好きなのよ」と言うように。
意見なら良いんだ。でもやっぱり、否定の言葉だと辛くなる。
だからせめて自分はそういうことは表に(少なくともこうして不特定多数の誰かの目に触れる場所では)出さないようにしよう。
こうした一連のことを、宝塚は教えてくれたような気がします。
やっぱり結構いろいろなところで何か言われるとこたえますし、哀しくなります。
でもどんなことを言われてもいい。誰が嫌いでも構わない。
誰が何と言おうと、私はこのひとを好きでいつづけることができる。ずっとずっと最後の最後まで好きでいることが出来る。そう思いました。
震えた心が財産です。
彼女は私の宝物です。
●花舞う長安
ちょっと・・・・これは・・・・博多とはやはり規模の点で大きく違っていたわけですが・・・・うーん。
これについては確か他所に書いた日記がまだ残っていたはずなので、今度探してきて貼っておきますね。
●ロマンチカ宝塚’04
素晴らしかったです。
博多とはまた違った感じで素敵でした。
キラキラしてて、それでもどこか妖しくて不思議で、切ないほどに不条理。
寄せてはかえる波のように、いとおしさがこみあげてくるイメージというのでしょうか。
優しくいとおしい気持ちにさせてくれる、素敵なショーでした。
最後にわたるちゃんの挨拶がありましたが、このひとの挨拶はどうしていつも心にこんなに素直に染み込んでくるんだろうと思います。
一言一言、一字一句たがえずに私の胸に飛び込んでくるというのでしょうか。
とりたてて美文というわけでもない。
けれど真率で、真率だからこそ涙がこぼれてしまうようないい挨拶でした。
こういうトップさんがいてくれるって本当にステキなことだと思います。
まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、明日も明後日も早起きしていくので、今日はこのへんで〜!
一ヶ月間頑張ります。
その間にさえちゃんも死ぬ気で根性出します。
エイエイオウ!
これで私は今年度、月、花に引き続き、星まで初日を観劇するというありえない事態に陥りました。
来年はきっとどんなにか悪いことが・・・・。
今日は初日ですので早めにスタンバイ。7時45分!ありえない!
とかなんとかいいつつきっちり時間にはスタンバイして入り待ちをしました。
なんていうのかな、私はいつも肝心の本命のひととは目もあわせられなくて、乙女モード全開の丸出しになってしまうのです(笑)
さえちゃんの時もそうだった。
視線がこっちを向いていないと舐めまわすように見てるくせに(笑)、こっちを見ると途端に火がついたように頬が赤くなる。
「ファントム」で下級生さんを食い入るように見つめていたら逆に微笑み返されて(しかも二列だから笑顔が直撃)、私の皮膚の下で爆弾が破裂したみたいになったりしましたが・・・・まあこのときはその状態でもしっかり見つめつづけたんだけど。
今日も折角「おはようございまーす」と笑顔で目をあわせてくれているのに(しかもスッピンですYO!)、「お、おは、おは」しか言えなくて最終的には真っ赤になった顔をとてもじゃありませんが上げていることが出来ず、下を向いてしまいました。
なーに乙女気取ってんだ私は。
といつもの私が笑い飛ばす行動を他でもない私がとっていたわけで・・・・!
その代わり出待ちの時はなけなしの勇気を振り絞って「お、お、お疲れ様でした!」とどもりまくりながらお手紙を渡しました。
にっこり「ありがとうございましたー」と言ってくれて、なんていうんだろう、はじめてじゃないのに、たった一言の「ありがとうございました」なのに、本気で感激してしまって(笑)
「ありがとうございます」って言われた瞬間、本気で「私はこのひとが好きだ」と思いました。
たとえ他所で何を言われていても、仮にどんなことをしていたとしても、私は彼女が目の前で笑ってくれるだけでいい。
泣けてくるほど愛しかった。
まるで恋のようです。
ホンモノの恋とは似ても似つかないのに。でもこの”恋”は、私の中の綺麗なものの結晶体のような恋なのかも知れないと思いました。
嫉妬も何もない、ただただ好きでいる、ただただ信じつづける、少女の恋のようだなあと(笑)
(私の中にそんな美しい感情が残っていると思わなかったという意見は無論却下です)(笑)
私は宝塚を好きでいる上で、自分に言い聞かせていることがいくつかあります。
一つは、自分の目でしっかりと見るまで、決して他人の意見によるフィルターをかけないこと。
惑わされないこと。自分の目を信じること。
そしてどんな噂があろうとも最後まで信じつづけること。信じきること。
他人の意見が当てにならないとかではなくて、もうそれは主観だから本当にどうしようもない部分なんですよね。
誰かが「私はここが嫌い」と思っても、私一人が「私はそこが好きなのよ」と言うように。
意見なら良いんだ。でもやっぱり、否定の言葉だと辛くなる。
だからせめて自分はそういうことは表に(少なくともこうして不特定多数の誰かの目に触れる場所では)出さないようにしよう。
こうした一連のことを、宝塚は教えてくれたような気がします。
やっぱり結構いろいろなところで何か言われるとこたえますし、哀しくなります。
でもどんなことを言われてもいい。誰が嫌いでも構わない。
誰が何と言おうと、私はこのひとを好きでいつづけることができる。ずっとずっと最後の最後まで好きでいることが出来る。そう思いました。
震えた心が財産です。
彼女は私の宝物です。
●花舞う長安
ちょっと・・・・これは・・・・博多とはやはり規模の点で大きく違っていたわけですが・・・・うーん。
これについては確か他所に書いた日記がまだ残っていたはずなので、今度探してきて貼っておきますね。
●ロマンチカ宝塚’04
素晴らしかったです。
博多とはまた違った感じで素敵でした。
キラキラしてて、それでもどこか妖しくて不思議で、切ないほどに不条理。
寄せてはかえる波のように、いとおしさがこみあげてくるイメージというのでしょうか。
優しくいとおしい気持ちにさせてくれる、素敵なショーでした。
最後にわたるちゃんの挨拶がありましたが、このひとの挨拶はどうしていつも心にこんなに素直に染み込んでくるんだろうと思います。
一言一言、一字一句たがえずに私の胸に飛び込んでくるというのでしょうか。
とりたてて美文というわけでもない。
けれど真率で、真率だからこそ涙がこぼれてしまうようないい挨拶でした。
こういうトップさんがいてくれるって本当にステキなことだと思います。
まだまだ書きたいことはたくさんあるのですが、明日も明後日も早起きしていくので、今日はこのへんで〜!
一ヶ月間頑張ります。
その間にさえちゃんも死ぬ気で根性出します。
エイエイオウ!
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