ただひたすらに無我の境地に辿り着くことを強制されるステキ芝居達でした。
超面白かったです。

たとえ「天鼓」ってこういう話でしたっけねと笑顔の裏側で思ったとしても。

頭の中ではひたすら銀河が新しく生まれて混沌としていました(要するにわからなかった)
新年初笑いですYO!

雪組はショーによって芝居がなかったことになり、花組はただひたすらに美しい役者とセットと音楽で全てをうやむやに出来るというステキ仕様でした。
つーか花組、神様!
神様(@春野さま)降臨!
平安にそぐわないテイストのお方が!と思ったら春野さまだった。
今にもバックミュージックと称してロックが鳴り響きそうな感じでしたが、お顔は神々しさに溢れ、そのミスマッチ加減が更なるコスモを産むどころか更に育んでいました。
「嬉しく思うぞ」っていきなりお前は誰だと帝でなくても言いたくなるようなお姿になりたまい、迷言の数々をお残しになられて去りたまう姿はまさに全能神そのものでした。
いや、なんかもう、新年早々すごいものをみました。
っていうかコスモ。
もうほんと、混沌としすぎて何がいいたいのかサッパリわからない。話が渦巻いて何を結局いいたいのかよくわからなかったのですが、アレは一体どうなったんでしょうか。
双方、面白すぎて開いた口が塞がりませんでした。
花組は特に神が降臨したことに驚き口を開けていたらいつの間にか終わっていたような。
平安としてありえない力技の数々からなる児玉芝居は、間違ったキリスト教の観念を裏付けもとらずに芝居に活用する石田芝居とタメを張る出来です。
そういえば石田先生はキリスト教に何か恨みでもあるんでしょうか。
傭兵ピエールといい、二作続けていたたまれません。しかも根本的に勘違いしているのがさらにいたたまれない・・・・。
ことなる宗教を描き出すというのは素晴らしい作業ですが、それはしっかりとした裏付けと勉強、相互理解の上になりたつものです。
それがよくわかってもいないのにわかったフリをして、劇中で適当に使ってしまうのは劇作家以前に人間の最低限のモラルとして弁えるべきなのではないでしょうか。
「ブタでも〜」のくだり、いたたまれませんでした。
「天使の季節」の痴呆だのボケだのに似た脱力感を覚えた・・・・。
児玉芝居は源高明とか博雅とか出す割にしゃっきり出来ない脚本に大いなる課題アリだ。
でも何故か見終わった後は「キレイだった〜」「そのか、ケッコン」と口走ってしまう感じで、美しすぎるために全て帳消しになるというのが新たなる定説になった感じです。
要するに最終的にコスモは銀河になり損なって収拾つかなくなったのでブラックホールになり、あらゆるものを飲み込んでなかったことにした、という結末だったのですが、よくわからないハッピーエンド具合といい、児玉先生の作品は相変わらずひたすら美しいけどひたすらわからないという結論に辿り着きました。
まず日本語しっかり。
次に順序立てしっかり。
ついでに時代考証もしっかり。地理感覚もしっかり。
内裏から吉野まで一日で行くなんてムリです。車じゃないんだからさ!
牛に揺られて歩くんだから時間かかるだろ、普通!
しかも無駄にアクティブです、この帝。
普通帝は自分で動いたりしない・・・・!
アクティブ(@帝)ははじめて自分に逆らった虹人にムッキーとなって全てを奪ってやることにしたまではよかったのですが、結局虹人自身を奪いたかったのか名品なのかどうかも甚だ疑わしい鼓が欲しかったのか微妙に謎のままでした。ウーン。
とにかく演出手腕は素晴らしいと思うので、日本語をまわりに添削してもらって脚本をしっかり完成させてそれから演出したら、きっとものすごく素晴らしいものになると思います。
舞台セット見ただけで涙が出るほどステキなんだから、きっとそうなるはずです。
「聖なる星の奇跡」とか、ほんとに奇跡とでも形容しないと収集つかない感じでしたが、それでもあれはただひたすらに美しかったので、演出手腕は一際飛びぬけてると思うんだけどな・・・・あとは脚本だけですよ、頑張れ!
次回に期待!

うーん、時間があったら詳しく書きたいと思います。
どちらの生徒さんもステキで悶えましたが、芝居は違う意味でステキでした。

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