何度目かはもう忘れたというか数えたくないというか、とにかく行ったのですけど、今日はヨッシー(井上芳雄君)と野球の江川と多分V6のミヤケン君がいました。
ヨッシーに接近遭遇したのが一番嬉しかったのですけど、江川とミヤケン(多分)は最前列のドセンターで見れて嬉しいというよりも羨ましかった・・・。
私が座りたいよ、その席(笑)

ベルばらは相変わらず超ビカビカしてギラギラで、楽しくて綺麗でちょっと涙あり笑いありで本当に楽しいお祭りだったなあと。
それと今日大劇場で初演から通算400万人を突破したそうで、この公演が終わった後報告とトップのわたるちゃんからご挨拶がありました。
なんだか得した公演でしたよ。

初日以来だったので、心配していたトウコちゃんがすっかり元気になって、元の伸びやかなお声で歌っていたのを見れて一安心でした。
よかった〜!
とよこちゃんも16日から淑女がまた始まってイヤーキャーキャキャーと無駄に(脳内で)叫びまくりでした。
ビューティフル!ビューティフルとよこ!!(倒れ付して絶叫)

相変わらず「女だから意見を述べてはいけないのですか!」「とか「私が女だからバカにされるのですか!」という言葉がアレなのですけど、ふとこれって初演からあった台詞なのかしらと・・・。
昨日の「初演の1974年(だっけ?)から・・・」というジュンコさんのお話を聞いたときに思いました。
これは初演当時、画期的な台詞だったのではないでしょうか。
労働基準法が制定されたのは確か1960年。
この頃はまだ男女不平等が当たり前だった時期だったと思います。
何故なら「男女雇用機会均等法」の前身ともいえる「勤労婦人福祉法」が制定されたのは1972年、まさにこのベルばら初演とほぼ時期が重なっているのです。
世界的な展開を見ても、第1回世界女性会議が開かれた75年を「国際女性年」、85年までを「国連女性の10年」とし、女性差別撤廃、男女平等への世界的な歩みがはじまったころと重なっています。
79年に「女性差別撤廃条約」が採択され、日本では、男女雇用機会均等法成立の翌月(’85年6月)に、72番目の締約国としてこの条約を批准しました。国連に男女平等の状況報告が義務づけられ、4回にわたって報告しましたが、「経済的発展に、女性を組み込むことに対する日本の無関心を示すものと考えざるをえない」「雇用機会均等法の導入にもかかわらず、差別が継続している」などのコメントを受けています。
イギリスの性差別禁止法が制定されたのも75年、本当につい最近の出来事です。
世間に知られる「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律(男女雇用機会均等法)」の制定ですら1985年とつい最近のことです。
まだ20年と少し。
そう視点を変えると、あの台詞は女性がどうのこうのというよりも、また違った見方が出来る台詞ではないでしょうか。

ベルばら特集本で原作者の池田先生もおっしゃっていた通り今ではオスカルのような生き方をするひとも多くなっているでしょう。
そう生きていくのも、当時よりはまだ実行しやすいことに(逆に根深い問題になっていることもありますが)なっていると思います。
1970年代は既に雇用者の3分の1は女性であり、既婚者の割合も大幅に増えていました(確か過半数)
女性の自意識が大幅に改善され始めたのもこの時期だったように記憶しています。
つまりこの時期から、女性は「結婚したら退職」というそれまでの風習に真っ向から立ち向かい、家庭と仕事の両立に直面しはじめた時期でもあるわけです。
そうしたことを考えた時の「女だから意見を述べてはいけないのですか」という一連の台詞、あの台詞はまさに植田御大の思い切った意思表示だったのではないかということが上げられると思うのです。
女性だけの劇団、しかも今なお結構「エッ宝塚?」と冷笑されちゃったりもするような場所において、それでも女性であるということは誇りでもあり同時に大きな壁もあったでしょう。
そうした中だからこそ生まれた台詞だなとも思うわけで、そういう意味でこの台詞の役割はとても大きかったんじゃないかと・・・。
本で読むのと直接耳で聞くのとはやはり違います。
女性だけの劇団が高らかに誇らしくその台詞を紡いだとしたら。
いつも感じていたことを、たとえ非現実の舞台であろうとも、女性が(しかも憧れずにはいられないようなひとが)ぴしゃりとその台詞をぶつけてくれたら、どんなに胸がすくことでしょう。どんなに勇気付けられることでしょう。
「ベルサイユのばら」というれっきとした原作がある中でこういうことを言うのはどうなんでしょうかね、という疑問はもちろんありますが、劇というものはもともと世相を現したり風刺したりする側面を必ずもっていると思うので、それもまたおかしくはない台詞だと感じます。
これは私の主観ですけど、このあたりの裁判記録とか本とか状況を見ていると、女性の地位向上のためにウワッと盛り上がりはじめているので余計そう感じてしまうのかもしれません。
今その台詞を聞いた私たちは「女でも意見言うよ、関係ないよそんなの」と一刀両断できますが、ほんの数十年前までは不平等がまかりとおり、定年すらも男性よりずっと低くされていた時代だったのです。
わずか30年、されど30年です。
この一連の台詞は、当時の政治や情勢に対する一矢であったのではないか、現在の女性がゲンナリしてしまうあの台詞は、当時の女性にとって光にも思えた台詞だったのではないかとふと考えてしまいました。
オスカルというひとに憧れるということ。
わずか数年前にはじめて目を通した私と、連載当時から読んでいるひとの考えや捉え方の違いはもちろんあると思います。
私のアレも、ただ大学で学んできた「ジェンダー」に対する主観的なものであるということも否定できません。
でも私は、あの台詞に初演から今までの歴史を見たように思いました。

まあ、ぶっちゃけて言うと、それから今まで時間も30年経っているということで、そういった台詞も今は適用されないということをわからないといけないとは思うのですが・・・。
「女だからわかることもあるんです!」という台詞はどう考えても蛇足だと思いますし、それじゃ本末転倒だーとも思います。
アントワネットを引っ叩くシーンもイヤーキャー王妃様の顔に傷がー!という感じであんまり受け入れられないな〜と思うのですけれども。
でもこの宝塚版「ベルばら」は、漫画の設定を借りて時代に物申した風刺作品でもあったのではないかとふと考えてしまいました。

*均等法などのアレに関しては、おぼろげな知識総動員ですので間違っていたら許してください・・・。
捉え方もアレなんですが・・・ウーン。
というか、私がこんなことを考えるくらいだから、他のどなたかも同じようなことを書いてらっしゃったりするかもしれませんが、被っていたらお許し下さい。
とりあえず自分の知識しか参考にしていないものなので。
私もまた思い出したら直そうと思います。

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